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  1. No.1 半田手延べめん 【こだわり極太麺】 3kg(100g×30束)

    半田手延べめん
    【こだわり極太麺】
    3kg 100g×30束

    3,650円
    (本体3,380円、税270円)

  2. No.2 贈答用化粧箱 2Kg 20束

    贈答用化粧箱
    2Kg 20束

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    (本体2,570円、税206円)

  3. No.3 ダンボール箱入り 5Kg 50束

    ダンボール箱入り
    5Kg 50束

    5,033円 〜
    (本体4,660円、税373円)

トップ > 半田素麺の歴史

つるぎ町から見る吉野川

半田素麺の歴史

 半田手延べそうめんは、約200年ほど前の江戸後期には、すでに全国にその名を広めていました。
時の将軍に阿波の名産品として献上された記録もあり、代表的な阿波の味として現在に至っています。
 この伝統的な「技」は現在も受け継がれています。おいしい、腰の強いそうめんをつくるために、小麦粉を塩水でねり、延ばし、これを熟成させて、さらに引き延ばしながら乾燥させます。製造工程の一つ一つに、昔ながらの技が、心が生きています。

川船

 徳島県には一級水系川「吉野川」があります。
 幹川流路延長194 km、流域面積3,750 km²の河川は、麻植郡を中心に勢力を広げた忌部族の時代から、阿波の交通の大動脈でした。その後の江戸時代以降には、この傾向はさらに強まり、半田から徳島へ下る船には、藍玉、炭、マユ、薪などの物産を運び、帰り船(上り)には、干し鰯、米、塩、わかめ、いりこなどを持ち帰っていましたが、徳島からの帰り船は季節により半田に帰るまでに、一週間を要す事もあったようです。

常夜灯
灯台の役割を果たした
小野浜港常夜灯の風景
 船には、港が必要で半田には半田川河口との合流点に重要中継点として小野浜港を作り、小野浜港は江戸時代中期より、吉野川帆船交通の発達により発展し、半田川流域の玄関口としてにぎわっていました。
 この常夜灯は大正3年(1914)3月25日の鉄道開通まで88年間、川灯台としての役割も果たしました。 この常夜灯には、「文政九戌年五月吉日」と彫られています。

半田素麺の始まり

 諸説がありますが、天保の時代、当時小野浜港より撫養方面へ運航していた平田舟の船頭が、家族の自給用や副業として行わせたのが始まりだといわれています。製麺の方法は、約270年程昔、大和の国、奈良県磯城郡三輪町から淡路の福良付近にある撫養(現在の鳴門)に入り、板西、市場各地を廻って、ここ半田の地に、その製法が伝えられたといわれています。

半田素麺の歩み

夕焼け  吉野川を上下する平田船により、原料の小麦粉、塩、油などの入手は容易で、船頭家の副業であった小野を中心に、田井、逢阪、東西久保、木ノ内へと普及しました。明治四年の生産量は56トン。小麦粉の製粉は、井川谷の水車で行っていました。
 昭和八年の世界恐慌で、生産は激減したが、その後回復し生産高675トンに達しました。
 戦中戦後の大混乱を経て、昭和二十九年には半田手延べ素麺協同組合が再編され、足踏み式の製造から電動機械化、乾燥設備の新設などが進められました。

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